ヒゲ剃りから考えてみました。

先日、長年、愛用してきたヒゲ剃りが動かなくなり、10年ぶりくらいに新しいものに買い替えました。長年、使ってきた道具には名残惜しさはありますが、世代交代ということで、新しいヒゲ剃りとの日々をスタートさせたいと思います。

ここでふと考えたのですが、
「なんで、ヒゲってあるんですかね?」

進化論によれば、生物の形や能力は子孫を残すために有利だから選択されて、今に伝えられているのだ、と説明するそうです。
ヒゲについても、かのチャールズ・ダーウィンは、ヒゲのある男性は、女性に好まれて、より子孫を残せたから、ヒゲが残っているのだ、と論じていたそうです。

でも、ヒゲが好きという女性もいれば、不潔だから嫌いという女性もいますよね。おおざっぱにヒゲがあるとモテるんだ、というのも暴論のような気もします。

また、時代によって、ヒゲのイメージは変遷しているそうなんです。例えば、日本の戦国時代などはヒゲがないと馬鹿にされたそうなんですが、平穏な江戸時代になると逆に嫌がられて、その後、明治時代になるとヨーロッパの影響でヒゲをたくわえることが流行する、などなど。
その流れで考えると、現代社会はヒゲ受難の時代ですかね。サラリーマンなど組織人として生きる場合、ヒゲをたくわえるのは禁止、という職場は多いように感じます。

さらに宗教や文化の違いまで考えると、ヒゲの役割は、ますます分からなくなってきます。一般的にイスラム圏では、ヒゲをたくわえるのは成人男性の証だそうです。また、厳格なユダヤ教信者は、立派なヒゲをたくわえていて、宗教上のタブーとしてヒゲを剃ることが禁じられているとか。

近代以前の大陸国家では、宦官と呼ばれる去勢された男性が宮廷の雑務をこなしていたそうです。その中でも歴代の中国王朝では、たびたび宦官が強大な権力を握って、嫌われていたそうなんですが、この宮廷雑用人はホルモンの関係でヒゲが生えなかったとのこと。なので、(三国志などでおなじみの)宮廷クーデーターなどあった時は、
「ヒゲの生えていない奴は、宦官だから殺してしまえ!」
などと、抹殺対象の目印になったこともあったそうです。こんな時、ヒゲをたくわえていない一般人は災難だったでしょうね。そう考えるとヒゲがあった方が、生存には有利だったんでしょうか。

このように、つらつらと思いめぐらせてみると、ダーウィンさんには申し訳ないのですが、ヒゲが生存上、有利だから残った、という話しも眉唾かなぁ、とも感じます。

話しは逸れますが、経済学などの世界などで「8対2の法則」というのがあるそうです。これは、ある会社で2割の社員が、全体の売上8割を達成している。多数ある商品ラインナップのうち2割が、全体の8割の売上を支えている、などなど、多くの分野で20%の構成要素が、全体の80%に相当する何かを生み出す、という法則だとか。

この理屈で考えると、生存上、有利だから残ってきた、というよりも、ヒゲも80%の構成要素として可もなく不可もなく残ってきて、毎日、我々、男性に面倒くさがらせながら剃られているのかな、とも思えてきます。
考えてみれば、我々が日常、普通に目にするものって、「8対2の法則」で言えば、だいたいが80%に分類されるものなんじゃないですかね。そんな80グループに分類されたからといっても、生存上、特別に不利な訳でもなく、普通に暮らしていける、というのが世の中なんじゃないかなぁ、なんて、ヒゲ剃りの交換から考えてしまいました。